「木を見て森を見ず」 by 宇賀反対意見
前回は、行政裁量の司法統制手法の「標準型」として、判断過程審査について説明しました。この手法を用いた判例として、最判令和3年7月6日民集75巻7号3422頁があります。沖縄・辺野古の埋立承認区域内での造礁さんご類採捕許可申請に対する知事の不作為について、漁業法等を所管する農林水産大臣がした是正の指示の適法・違法が争われた事例です。*1
最高裁は、大臣による是正の指示(知事の不作為を法令違反とするもの)を適法としますが、その前提として、知事による不作為が裁量権の逸脱・濫用にあたると判断します。最高裁の判決文は、考慮要素に着目した判断過程審査を用いて行政判断を違法と断じる「処理手順」の、いわば「定型」をよく示します。埋立承認に基づく事業として護岸工事が進行している以上、「さんご類」の移植は必要であり、かつ、沖縄防衛局の地位を侵害するのは不合理である、という論理です。
他方、判決には、宇賀・宮崎両裁判官の反対意見が付されています。行政法学の第一人者である宇賀克也裁判官が、判断過程審査の用い方について、正面から反対意見を書かれています。宇賀反対意見は、本件埋立事業を規律する公有水面埋立法と漁業関係法令の「法的仕組み」を精密に解釈し、知事が「護岸工事……のみに着目して本件各申請の是非を判断するとすれば、『木を見て森を見ず』の弊に陥り、特別採捕許可の制度が設けられた趣旨に反する」、とします。その上で、追加の地盤工事に係る国側からの変更申請が承認される蓋然性が「要考慮事項」であり、変更申請がされていない段階ではこれを考慮することができない、との指摘がなされます。宇賀先生らしい明晰な論理です。
考慮要素の抽出に絶対的な「正解」はないこと、結論を後付けで正当化する論理に対抗するには「仕組み解釈」が有効なことを改めて感じます。皆さんも、裁判所HPを検索して、判決文に目を通してみてください。
行訴法30条と裁量統制基準
今回は、行政裁量の司法審査に関する様々な「ツール」を整理して、それらの基本的な「使い方」を説明します。
起点となるのは、行訴法30条です。行訴法30条は、裁量処分であっても、裁量権の逸脱・濫用が認められれば取消事由になることを明文化しています。①裁量権の逸脱*2とは客観的に裁量権の範囲を超えること、②裁量権の濫用とは法が許す趣旨・目的に合致しないことを、それぞれ意味します。①は、行政庁による裁量権行使が授権規範によって認められる枠(判断の余地を認められる範囲)を超えるという(裁判官による)評価であり、厳密に言えば裁量の外側での解釈問題です。これに対して、②は、行政庁による裁量権行使の目的・動機が授権規範と整合せず不合理であるなど、行政裁量の範囲内での(裁判官による)評価の問題です。
行訴法30条は、行政裁量の許される範囲を超えたとの評価である「逸脱」*3と、行政裁量の範囲内での不合理が認められるとの評価である「濫用」*4を、司法審査の法的ツールとして用意しています。これを具体化したものが、以下に掲げる裁量統制基準です。
1 事実誤認 (裁量権行使の逸脱に相当)
⇒ 行政処分は、正しい事実認定を前提とするため、裁量判断の前提となる事実に誤りがあれば、裁量権行使は違法です。判例は、行政機関が「全く事実の基礎を欠く」、あるいは、「重要な事実の基礎を欠く」判断をした場合について、裁量権の逸脱・濫用になるという基準を提示しています。*5
2 目的違反・動機違反 (裁量権行使の濫用に相当)
⇒ 行政処分が、根拠規範の趣旨・目的と異なる目的・動機によってなされた場合に、その行政処分は違法です。この法理により、裁量権の根拠となる法律の趣旨・目的を逸脱した場合には、裁量権の行使も違法と判断されます。
3 平等原則違反 (裁量権行使の逸脱に相当)
⇒ 行政機関による裁量権の行使であっても、合理的な理由なしに差別的な取扱いをすることは、裁判所により違法と判断されます。また、行政機関が、あらかじめ裁量基準(行政手続法上の審査基準・処分基準など)を策定している場合に、特定の者に合理的な理由なく裁量基準と異なる行政処分をすれば、平等原則違反が問題になります。
4 比例原則違反 (裁量権行使の逸脱に相当)
比例原則違反も、裁量統制の道具となります。行政機関に裁量権が認められた趣旨・目的と、裁量権を行使した結果生じる効果(行政処分の相手方に生じる不利益など)に着目して、全体として合理的と評価できるかは、裁量統制の重要な視点です。
5 法の一般原則による統制 (裁量権行使の逸脱に相当)
平等原則や比例原則以外でも、法源性が認められる「法の一般原則」は、裁量処分に対する司法統制の道具となります。信義則、基本的人権の尊重原則、特殊事情の配慮義務などがこれに相当すると考えられます。*6
上記の裁量統制基準は、行訴法30条が前提としている、裁量権行使の「逸脱」と「濫用」を審査するツールとして整理できます。上記3~5は、法源性の認められる規範に照らし、裁量権行使の結果を違法とする司法判断ですから、行政裁量の枠を超えるという評価です。上記2は、行政裁量の枠内での行政判断が不合理である、との(裁判官による)評価です。
他方、現在の判例・学説は、行訴法30条にいう逸脱と濫用の区別に法効果の面で差異がないこと、両者の峻別は困難なケースがあること等から、両者を一括して裁量権の限界の問題として扱います。*7私としては、両者の(理論的)区別を安易に放擲すべきでないと思っています。中川丈久先生も、行政裁量論において「法令解釈の誤り」と「裁量判断の合理性欠如」を「明確に区別する」必要性を指摘されています。*8いずれにしても、上述した1~5の裁量統制基準は、裁量権の逸脱・濫用という解釈枠組み(実体的判断基準*9という言い方もされます)から派生していることを理解すれば、行政裁量の司法審査「手法」に着眼した整理(Ⓐ社会観念審査、Ⓑ判断過程審査、Ⓒ判断代置審査)との関係性がイメージしやすくなります。
判断過程審査手法の展開
私は、以前、判断過程審査手法を分析する論文を公表したことがあります。*10その際、平成18年~19年の幾つかの最高裁判決(社会観念審査の方法と、判断過程審査の方法とを「併用」したと評されます*11)について、考慮要素審査と比例原則が融合化して用いられていると指摘しました。以下、少し説明します。
判例は、裁量審査の「方法」である、Ⓐ社会観念審査とⒷ判断過程審査を「併用」することがあります。現在では、この「併用」が「標準化」し、デフォルトとなっています。具体的には、裁量審査の基準として、「全く(重要な)事実の基礎を欠くか、又は、社会通念に照らし著しく妥当性を欠く」という規範を提示した後、「社会通念に照らし著しく妥当性を欠く」か否かについて、考慮不尽・他事考慮・評価の過誤(考慮要素・考慮事項に着眼した判断過程審査のツール)を下位規範として用いて評価する、という「併用」です。
この結果、現在の判例は、裁量審査の「方法」として、Ⓐのみを使うケースと、Ⓐの枠組みの中で実質的にⒷを使うケースとがある、と整理できます。読者の方が「答案」を書くとして、Ⓑを用い、考慮要素に着目した審査(考慮不尽・他事考慮・評価の過誤)を展開しようと考えるのであれば、上記のⒶⒷ併用がファーストチョイスになるでしょう。
Ⓑの「方法」に拠ることの実質的な意味は、裁量統制における司法審査密度を確保する(一定程度まで高める)ことにあります。その場合、考慮要素に着目した判断過程審査手法を用いるだけでなく、考慮要素に「重み付け」をすることがポイントです。
具体的には、次のような規範による当てはめが考えられます。
・重視すべきでない考慮要素を重視している (単なる他事考慮ではない)
・当然考慮すべき事項を十分考慮していない (単なる考慮の欠如ではない)
・考慮した事項に対する評価が明らかに合理性を欠く (単なる評価の過誤ではない)
↓ その結果
社会通念に照らし著しく妥当性を欠いたものということができる
上記の解釈操作は、よく見ると、裁判所が行政による判断過程を具体的に取り出し、それぞれの局面で、考慮要素の価値衡量を試みたものと分析できます。この価値衡量は、裁量権の授権規範の解釈から導かれているのですから、授権規範の目的と行政判断の結果のバランスを見ているという意味で、比例原則的な思考が応用されているというのが、橋本の見立てです。山本隆司先生も、かねてより、エホバの証人事件(最判平成8年3月8日民集50巻3号469頁・行政判例ノート6-8)等を念頭に、「衡量過程の審査も、比例原則の応用形態と見ることができる」と指摘されていました。*12いずれにしても、判断過程審査手法を用いるとして、行政裁量の授権規範の解釈から、当該行政処分における考慮要素・考慮事項をきめ細かく「重み付け」してゆくことが、審査密度の確保につながります。
では、どのようにして考慮要素・考慮事項を抽出すればよいのでしょうか? 係争処分(裁量処分)の根拠規範について、処分要件を精査することが出発点になります。加えて、裁量基準(行政手続法・行政手続条例が適用されるのであれば、審査基準・処分基準は重要な手掛かりです)、処分に付された理由などから、考慮要素・考慮事項を探索することができるでしょう。もちろん、係争処分に関する事実関係や、類似する事案の処理(過去の処分例など)の検討も重要です。行政法の記述式問題に取り組むということであれば、問題に書かれている事実や参照条文(いわゆる「誘導」)から拾い出して、それらを裁量審査の解釈枠組みに嵌め込んでゆくというイメージが大切だと感じます。当連載の第1回で、「事例問題の考え方」として記述したものを参照してください。
手続的審査
裁判所が裁量処分の違法性をチェックする場合に、これまで説明したものとは別次元で、処分庁が行うべき事前手続(行政手続)の観点から司法審査を及ぼす方法があります。たとえば、塩野先生の教科書は、行政裁量の司法審査について、α裁量権の逸脱と濫用、β手続的コントール、γ判断過程の統制、を「コントロール手段」として提示します。*13手続的審査は、上記βに相当します。
手続的審査のリーディング・ケースは、個人タクシー事件判決(最判昭和46年10月28日民集25巻7号1037頁・行政判例ノート12-2)です。同判決は、広い行政裁量が認められる場合であっても、多数の者のうちから少数特定の者を具体的個別的事実関係に基づき選択して行政決定をするような場合、事実の認定につき行政庁の独断を疑うことが客観的にもっともと認められるような不公正な手続をとってはならない、とします。事前手続の要請は、裁量問題にとどまらない行政処分法制全体の問題ですが、裁量の司法統制において、手続的統制が重要なことは明らかです。
かつて、この論点は、行政の意思決定過程に着眼して司法統制を試みた一連の裁判例(とりわけ白石健三裁判官が関与する「白石判決」)を主要な素材として、大いに議論されました。*14白石判決のひとつである日光太郎杉事件判決(東京高判昭和48年7月13日行集24巻6=7号533頁・行政判例ノート6―6)が、土地収用の事業認定の前提となる要件(土地収用法20条3号)について、一定の要件裁量を肯定しつつ(原審は要件裁量を否定して判断代置により違法と判断していました)、判断過程の統制という手法を用いて違法との結論を導き出します。裁量処分の意思決定過程において、考慮すべき事項についての考慮不尽、本来考慮すべきでない事項の他事考慮等をとらえ、「裁量判断の方法ないし過程の過誤」と結論付けるロジックは、注目を集めました。現在の裁量統制の「標準型」である判断過程審査は、日光太郎杉事件判決に源流があるとの見方も有力です。*15
もっとも、行政の意思決定プロセスに着眼する裁量統制と、行政手続それ自体の瑕疵(それに基づく行政処分の取消事由の肯定)が、次元を異にすることは明らかです。個人タクシー事件の最高裁判決のような、正面から手続の瑕疵を問題とする手続的審査は、行政手続法が定着した現在、行政裁量の司法審査とは平面の異なる、しかし大変重要な司法審査のツールです。さらに、最近の裁判例を見ると、「合理的な根拠を欠く」ゆえに裁量権の逸脱・濫用があるとするもの*16、裁量基準の合理性を問題とするものなど、個人タクシー事件とはまた違ったかたちで、行政手続の仕組みを裁量統制の手掛かりとするものが目につきます。当連載の第7回で説明したように、裁量審査の枠組みにおいて、行政手続法等による手続的仕組みを利用する、いわばハイブリッド型の司法審査が登場していると感じます。
裁量審査の「処理手順」
最後に、行政法の事例問題で裁量審査を扱う場合の「処理手順」について、私の考えるところを示しておきます。基本的なモデルとして、①行政庁に一定の裁量が認められる、②一定レベルの司法審査密度を確保する、③判断過程統制手法を用いる、④考慮要素・考慮事項に着眼した審査を行って違法と判断する、という「処理手順」を考えてみましょう。
上記と異なり、ケースにより、判断過程審査手法として、裁量基準の合理性の検討⇒行政決定過程の過誤・欠落の有無の検討、というロジックを使う選択肢もあります。この場合、上記③で提示する「規範」を適切なものに入れ替えます。裁量基準が合理的であれば、そこから先、個別審査義務(その違反)を検討するケースもあると思います。
私としては、以上のような処理手順をベースラインとしつつ、比例原則違反や平等原則違反、信義則違反、(個別事情の)考慮義務違反などで自らのロジックを「補強」する、というイメージを持つことが有効と考えます。
それでは、今回も最後まで読んでいただき、本当にありがとうございました。*17執筆にあたり、中川丈久先生・山本隆司先生には、私からメールでいくつかの質問をしました。丁寧なお答えをくださった両先生に、この場を借りて、深く感謝します。
*1:公有水面埋立法に基づく埋立承認の後、埋立区域内の「さんご類」を移植するために必要な、県漁業調整規則(漁業関連法令のひとつです)に基づく採捕許可申請に対する知事の不作為が問題となっています。最高裁は、埋立事業を実施するために「さんご類」の移植は必要であり、知事による不作為が事業を実施する沖縄防衛局の地位を侵害するとして、知事の不作為が違法(裁量権の逸脱・濫用に当たる)とします。公有水面埋立法に則った事業実施がされる以上、漁業関係法令の規律も当然これに整合するべきという考え方です。これに対して、宇賀・宮崎反対意見は、漁業関係法令による規律の法体系上の意味を精密にとらえた上で、将来予測が必要な行政決定の性質を反映するよう努めていると評されるでしょう。今後、学説による判例の検討が深まることが期待されます。
*2:「踰越」と呼ぶのが本来的に正しいと考えられます。
*3:客観的にみてそのように評価されるという趣旨です。
*4:裁判官からみて「不合理」ないし「合理的でない」と評価されるという趣旨です。
*5:事実誤認は、行政決定に先行する調査義務の司法統制と重なる部分があります。高橋正人『行政裁量と内部規範』(晃洋書房・2021)201頁以下。これを示唆する裁判例として、道路拡幅を内容とする都市計画変更決定について、それに先行する基礎調査の結果が客観性・実証性を欠くとして違法とした東京高判平成17年10月20日判時1914号43頁があります。
*6:橋本博之『現代行政法』(岩波書店・2017)84頁。
*7:宇賀克也『行政法概説Ⅰ〔第7版〕』(有斐閣・2020)356頁。藤田宙靖先生は、さらに踏み込んで、裁量権の踰越と濫用の区別については、「理論的に区別するのは本来不可能」であり、法解釈上の「実益」もないとします。藤田宙靖『新版行政法総論(上)』(青林書院・2020)112頁。
*8:山本敬三・中川丈久編『法解釈の方法論』(有斐閣・2021)83頁。
*9:裁量権行使の「結果」に着目し、実体法的な違法(すなわち裁量権の逸脱・濫用の有無)を審査するという趣旨です。行政決定のプロセスに着目する判断過程審査および手続的審査との対比で用いられます。
*10:橋本博之『行政判例と仕組み解釈』(弘文堂・2009)145頁以下。
*11:山本隆司「行政裁量の判断過程審査の理論と実務」司法研修所論集129号(2019)3頁。
*12:山本隆司『判例から探究する行政法』(有斐閣・2012)228頁。
*13:塩野宏『行政法Ⅰ〔第6版〕』(有斐閣・2015)147頁以下。
*14:個人タクシー事件の地裁判決(東京地判昭和38年9月18日行集14巻9号1666頁)や、群馬中央バス事件の地裁判決(東京地判昭和38年12月25日行集14巻12号2255頁)が知られています。
*15:橋本自身は、日光太郎杉判決は、最高裁判例が形成してきた判断過程審査とは異なる部分が大きいと考えています。橋本・前掲注(10)149頁以下。村上裕章先生は、日光太郎杉判決のロジックが、取消判決の後、行政庁が判断過程の過誤を是正した場合の再処分の可能性を含んでいるとの指摘をされています。村上裕章『行政訴訟の解釈理論』(弘文堂・2019)256頁以下。
*16:違法性の承継の判断基準を示したことで知られる最判平成21年12月17日民集63巻10号2631頁・行政判例ノート5-7(たぬきの森マンション事件)の原審は、安全認定の行政判断には「明らかに合理的根拠がない」として違法を認定しています。
*17:都合により、7月の連載はお休みします。