第11回 書籍化のお知らせ and more

当連載を書籍化します!

 当連載の書籍化が、実現する運びになりました! 新しい書籍は、慶應義塾大学法科大学院のご出身で、裁判実務、執筆、教育と超人的なご活躍をされている優秀な弁護士の、伊藤建先生、大島義則先生にご賛同をいただき、橋本を含む3名の「共著」となります。コラボいただく両先生、出版を快諾された弘文堂のご厚意に、深く感謝します。

 行政法紛争事例の考え方・解き方をわかりやすく示し、行政法の解釈技法を余すところなく解説することを目指して、著者3名で徹底的な議論を重ねました。橋本自身は、伊藤先生・大島先生からの厳しくかつ的確なご指導をいただきつつ、当連載の10回までの内容を全面的に書き直しました。両先生のご執筆部分(もちろん、新規書き下ろし)は、事例問題へのアプローチの方法、司法試験予備試験問題を素材にした具体的解説など、本当に充実した仕上がりになっています。理論・実務・教育のすべての面において、行政法の新しい地平を切り拓く内容であると自負しています。

 この冬の刊行に向け、作業はラストスパートに入っています。ご期待ください。


判断過程審査と行政事件訴訟法30条

 今回は、行政裁量の司法審査「手法」である判断過程審査の周辺を、気ままに歩いてみます。起点は、行政事件訴訟法30条です。

 行政事件訴訟法の制定(1962年)より前、裁判実務は、行政の自由裁量について、司法権の審査範囲の外側にあるとしていました。自由裁量とは、行政庁が法的拘束を受けることなく、自らの合目的性判断(何が合理的かの判断)により決定・行動できる事項であり、裁判所はそもそも法的にチェックできない、というわけです。当時の判例・学説は、このことを前提に、法規裁量(一応裁量はあるが司法審査に服する)という概念を使って、司法審査が可能な領域を広げる工夫を重ねます。

 しかし、自由裁量と法規裁量の区別はいかにも技巧的ですし、法規裁量の道具概念としての有用性への疑問も呈されます。他方で、自由裁量事項であっても、裁量権の逸脱・濫用の有無には司法審査が及ぶ、との法理が安定的に蓄積します。行政事件訴訟法30条は、このような判例・学説の成果が結実したものです。また、同条の規定振りから、処分の取消し(法的効果の否定)を求める側の当事者が、裁量権逸脱・濫用の存在を基礎付ける具体的事実を主張立証する、という原則も導かれます。

 ここから、行政裁量の司法審査は、①係争処分の根拠規範が定める要件・効果②当事者が主張する具体的事実、の両面から、③裁判官が適用できる法的規範を探索して当てはめる、という洗練された解釈技法に転換します。表現を変えると、係争処分の根拠規範を精緻に分析し、行政裁量の広狭と、個別事案における司法審査密度の高低を細かくかつ具体的に見定める解釈技法です。この流れの中で、裁量審査の手法として「判断過程統制」手法が確立し、裁量審査の標準型になったと考えられます。

 上記のような判断過程審査のデフォルト化は、「手法」としての判断過程審査の内容を豊かにする一方、判断過程審査とはそもそも何か、理解を難しくしています。判断過程審査とは、行政裁量の司法統制の密度を高める議論の「受け皿」であり、逆に言えば「受け皿」に過ぎない(中身となる解釈技法が不可欠な)ものでもあります。


「手法」としての判断過程審査

 裁量統制の解釈技法としては、比例原則違反、平等原則違反、信頼保護原則違反、事実誤認、目的・動機違反、裁量基準の不合理、個別事項考慮義務違反など、様々なツールが存在します。これらは、裁量処分を法的に「規律」し、裁判となれば裁判官が適法・違法を判断する法的規範(比例原則、平等原則、個別事項考慮義務など)の問題です。しかし、判断過程審査は、これらとは次元が異なり、裁判官が審査する「方法」の問題です。

 司法審査の「方法」として、判断過程審査は、実体的審査(判断結果の審査)と対置されます。①実体的審査とは、裁判官が、行政機関の裁量権行使の結果●●に着目して、逸脱・濫用の有無を審査するもの、②判断過程審査とは、裁判官が、裁量処分に至る行政機関の判断過程●●●●について、その合理性を追試的に審査するもの、と整理できます。さらに、裁量処分の事前手続に着目して司法統制をする、③(純粋な)手続的審査の方法を加える見解もあります。

 裁量処分の司法審査は、裁判官が行政庁と同一の立場から適法・違法の判断を下すのではなく、裁量権行使が合理的か否かの判断になります。その際の審査方法(裁判官の着眼点)が以下の3つある、というわけです。

① 実体的審査(行政庁による判断結果に着眼する司法審査)
② 判断過程審査(行政庁による判断過程に着眼する司法審査)
③ 手続的審査(裁量処分の事前手続の瑕疵に着眼する司法審査)

 他方、判断過程審査については、裁量処分に対する司法審査密度という観点から叙述されることがあります。この場合、審査が最大限に及んで行政裁量はほぼ否定される判断代置審査、現在の標準型で審査密度は中程度とされる判断過程審査、かつての標準型であり審査密度は最小限に留まる社会観念審査、として整理されます。社会観念審査とは、「社会通念に照らし著しく妥当性を欠く」か否かを審査するものであり、裁判官が社会通念という規範を当てはめることからそのように呼ばれます。

Ⓐ 最大限の審査≒判断代置審査(実体的判断代置審査)
Ⓑ 中程度の審査≒判断過程審査(デフォルトの審査手法)
Ⓒ 最小限の審査≒社会観念審査(裁判官が社会通念に照らして判断)

 ここでは、もっぱら司法審査密度の高低(行政裁量の広狭に逆比例する関係にあります)に対応して、Ⓐ判断代置審査、Ⓑ判断過程審査、Ⓒ社会観念審査、という分類がされています。ただし、上記の「≒」で示したように、審査密度と各審査方法は必ずしも対応しません。さらに、①②③とⒶⒷⒸの関係は、論者により色々な考え方が示されているという状況にあります。現時点で言えることは、裁判官が、一定程度の密度で裁量統制が必要と解釈した場合、判断過程審査手法を用いるのがデフォルトであるということです。


社会観念審査と判断過程審査の「併用」

 現在の判例法は、従前の社会観念審査の枠組みの下で、個々の裁量処分における考慮事項に着眼した判断過程審査を併用して、審査密度を一定程度確保した裁量統制をする傾向性を示しています。社会観念審査の方法と判断過程審査の方法の「併用」であり、判断過程審査手法の標準化です。

 リーディング・ケースとなったのは、公立学校施設の目的外使用不許可処分につき国家賠償法上の違法が争われた事例において、処分に係る考慮要素に着目した裁量統制を行った最高裁判決(最判平成18年2月7日民集60巻2号401頁・行政判例ノート6-9)です。同判決は、行政財産の目的外使用不許可処分に行政裁量を肯定した上で、裁量権行使における「判断要素の選択や判断過程に合理性を欠くところがないかを検討し、その判断が、重要な事実の基礎を欠くか、又は社会通念に照らして著しく妥当性を欠くものと認められる場合に限って」違法になるとします。その上で、①使用目的(教員の自主研修)が教育公務員特例法の趣旨にかなう②拒否理由とされた街宣活動のおそれは具体的でなく、(土曜・日曜のため)生徒への影響も間接的である③本件集会は教育上の悪影響を生じるとの評価は合理的でない④学校施設を利用する必要性が高い⑤教育委員会と教職員組合の関係悪化が不許可の背景であったことから、本件不許可処分について、「重視すべきでない考慮要素を重視するなど、考慮した事項に対する評価が明らかに合理性を欠いており、他方、当然考慮すべき事項を十分考慮しておらず、その結果、社会通念に照らし著しく妥当性を欠」き、裁量権を逸脱して違法と結論付けます。

 同判決は、「社会通念」に基づく上位規範を裸のまま当てはめるのではなく、その下位規範として、係争処分の考慮事項に着眼し、Ⓐ他事考慮、Ⓑ評価の合理性欠如、Ⓒ考慮不尽、につき審査しています。判決では、考慮した事項(ⒶⒷ)と考慮していない事項(Ⓒ)に分けて整理していますが、一応、ⒶⒷⒸの下位規範があると考えられます。

 同判決は、上記①~⑤の考慮事項について、上記の規範に「当てはめ」て結論を導きます。考慮事項について、係争処分の根拠規範の精査と、当事者が主張する事実関係から、できる限り具体的・分節的に抽出するという方向性が読み取れます。学習者の方々は、行政裁量に関して答案を書く際、行政側の意思決定の際の考慮事項をできる限り具体的に、当てはめやすいかたちで抽出して、細かく検討するという「感覚」を掴むとよいと思います。*1


判断過程統制手法の2つの「型」

 当連載第8回で説明したように、判断過程審査の「手法」には、2つの「型」があります。上記の平成18年判例がひとつの「型」ですが、もうひとつは、最判平成4年10月29日民集46巻7号1174頁・行政判例ノート6-2)をルーツとして、最判平成24年2月28日民集66巻3号1240頁・行政判例ノート6-2[A])などに受け継がれている「型」で、裁量基準の合理性⇒行政決定の判断過程・手続における(看過し難い)過誤・欠落、を具体的に検討する解釈技法です。

 上記の平成4年最判(伊方原発訴訟判決)は、行政庁の意思決定過程への第三者的機関の関与という法的仕組みがあることに着目し、当該機関の判断過程の合理性につき司法審査を及ぼすものでした。この時点で、判断過程審査のひとつの「型」であったわけですが、最近は、裁量基準の合理性審査とも結びついて、より広く用いられるようになっています。この「型」は、判断過程審査の中でも、行政庁が具体的に行った調査、審議を手がかりに意思形成過程の合理性をチェックし、審査密度を確保するという性質を持っています。

◎判断過程統制手法の2つの「型」

 ・平成18年最判に由来する「型」  「社会通念に照らし著しく妥当性を欠く」か否かという上位規範を、考慮事項に着眼した下位規範(他事考慮・評価の過誤・考慮不尽)を用いて具体的に当てはめる。
 ・平成4年最判に由来する「型」  裁量基準の内容⇒意思決定(審議)過程の過誤・欠落の有無、の順に判断過程の合理性を具体的に検討する。

 近時、山本隆司教授は、判断過程審査について、論証過程(行政機関が結論を正当化する論理の道筋)と調査・検討過程(行政機関の現実の行動)を区別し、前者に係る論理レベルの瑕疵と、後者に係る具体的行動不足の瑕疵の審査があることを指摘されます。*2平成18年判例は前者、平成4年判例は後者に重なるようにも見えますが、山本説は両者を並行して審査する必要性を語るものであり、審査の「型」とは視点が異なります。行政決定の論理それ自体と、行政決定に至る調査検討等の法的評価を分けるということは、実体(処分要件不充足)と手続(行政決定過程それ自体)の切り分けに接近するでしょう。当連載の第7回で、手続的仕組みを利用した「ハイブリッド型」裁量審査として説明した考え方とも重なります。山本教授の提案を含め、裁量審査の密度向上につながる議論の深化が期待されます。


判断過程審査手法のルーツ

 判断過程審査手法は、判例・学説の蓄積により生成・発展し、審査密度を高める議論の「受け皿」です。これは大きなメリットですが、端的な説明を難しくする要因でもあります。そもそも、判断過程審査は、幾つかの異なる考え方から派生・発展したものです。考えられるルーツとして、以下があります。

① 行政庁の「判断過程」の分析*3
 個々の行政処分がされる際の判断過程(根拠規範の適用の段階)を、事実認定⇒処分要件の解釈・当てはめ⇒手続の選択⇒処分内容の選択・決定⇒時の選択、のように分析して、裁量の所在と司法審査のあり方を画定する考え方。

② ドイツの計画裁量・衡量原則*4
 公益と私益の適正な衡量について、適正な衡量が全く行われていない・衡量されるべき利益が衡量されていない・衡量の対象である利益に対する重み付けが誤っている・諸利益の衡量において客観的価値と比例しない態様で衡量がされている場合に、違法と判定されるという法理。

③ 日光太郎杉事件判決などでの手続的審査*5 
 諸要素・諸価値の比較衡量に基づく総合判断としての裁量判断について、本来最も重視すべき諸要素・諸価値の軽視による考慮不尽、本来考慮に容れるべきでない事項の考慮・過大に評価されるべきでない事項の過大な考慮が認められた場合、裁量判断の方法ないしその過程に過誤がある、とする解釈方法。

④ 比例原則の当てはめ
 効果裁量(懲戒処分の量定判断)に関する「社会通念に照らし著しく妥当性を欠く」という審査基準の判定について、行政庁による「判断要素の選択や判断過程に著しく合理性を欠くところがないかどうかを検討」して当てはめる、とする解釈方法。

 他にあるかもしれませんが、とりあえず、私が思いついた4つのルーツを掲げてみました。いずれも、「判断過程」に着眼した裁量統制ではあるのですが、現在の判断過程審査手法とは、それぞれに微妙な偏差があります。また、ドイツ的な議論では、要件裁量は原則否定されていること(処分要件が不確定概念――不確定概念ではない――であれば、概念なので司法審査は完全に及びます)など、日本法との基本的な差異も理解する必要があるでしょう。いずれにしても、私自身は、裁判官が行政決定の「判断要素の選択」と「判断過程」の「合理性」を可能な限り細かくチェックすることこそ、判断過程審査という「方法」のコアであると思っています。

 行政裁量を裁判所が審査し、統制するのですから、裁量を授権する根拠規範(根拠法令)から審査基準・統制規範、すなわち、法的な統制ツールを導かなければなりません。その際、根拠規範から処分要件・考慮事項を導き出し、それらの考慮事項をどのようにバランスさせるか解明することは、行政法の解釈技法そのものです。行政裁量が多様かつ複雑な諸要素の総合衡量により行政決定をすべきと解釈されるケースであるとすれば、その決定過程・判断過程の合理性について裁判官が事後的・追試的な審査を行う判断過程審査の手法は、裁量統制のあり方として理にかなうものであると感じます。


判断過程審査と裁量統制基準の融合(その1・事実誤認)

 裁量処分に係る司法審査基準の代表例として、事実誤認があります。古典的な判例を見ても、例えば、公立大学の学生に対する懲戒処分について、学長の裁量を認めつつ、決定が全く事実の基礎を欠くと認められる場合に司法審査が及ぶ趣旨を述べたもの(最判昭和29年7月30日民集8巻7号1501頁)、出入国管理令に基づく法務大臣の在留期間更新の判断について、広汎な行政裁量を認めた上で、「その判断の基礎とされた重要な事実に誤認があること等により右判断が全く事実の基礎を欠くかどうか」審理することを述べたもの(最判昭和53年10月4日民集23巻8号1470頁)など、多数挙げられます(最近の裁判例として、東京地判令和元年9月12日判時2456号15頁など)。

 事実誤認の問題は、行政決定に先行する事実認定・調査義務に対する司法的チェックと重なります。必要な調査を尽くさないことと、行政決定に事実誤認があることは、裏表の関係にあるからです。このことを示唆する裁判例として、道路拡幅を内容とする都市計画変更決定について、それに先行する基礎調査の結果が客観性・実証性を欠くとして違法とした東京高判平成17年10月20日判時1914号43頁があります。同判決による裁量審査の方法は、事実誤認として整理することもできますが、調査義務を含めるかたちで判断過程審査によっていると見ることもできます。両者の融合例といえるでしょう。


判断過程審査と裁量統制基準の融合(その2・比例原則違反)

 比例原則違反は実体的な裁量統制基準の典型ですが、判断過程審査「手法」との融合の典型でもあります。判断過程審査において、考慮事項の「重み付け」による審査密度の向上が、比例原則の応用と考えられることは、当連載の第9回で述べたとおりです。行政裁量の司法審査の道具として比例原則を使う場面を考えると、その裁量処分の根拠法令を解釈して、何らかの事項・利益を優先して扱うべし、という規範を導いて当てはめる操作になりますから、考慮事項の重み付けと重なるのは当然です。

 要件裁量であれば、日光太郎杉事件(東京高判昭和48年7月13日行集24巻6=7号533頁・行政判例ノート6-6)をイメージしてください。「土地の適正且つ合理的な利用に寄与する」という処分要件について、事業により得られる公共の利益と、事業の用に供されることにより失われる利益があり、両者を比較衡量して前者が後者に優越するとの判断の部分で要件裁量が認められます。判決では、事業の推進を肯定する方向に働く考慮事項と、現在の文化的環境を保全する方向に働く考慮事項を、それぞれ可能な限り具体的に掲げて、そのバランス(軽重)を判断しようと試みています。ちなみに、土地収用法の事業認定も「申請」制度ですから、現時点では、審査基準が設定・公開されていますので、参照してみてください。

 効果裁量であれば、公務員の懲戒処分の量定(重さ)が争点となった多くの判例・裁判例があります。これらは、処分権者の効果裁量について、比例原則(社会観念上著しく妥当性を欠くかという規範)を当てはめるものが大半ですが、①懲戒処分をすることの必要性を基礎付ける事情と、懲戒処分につき慎重な考慮を基礎付ける事情を抽出し、後者より前者が優越するか具体的に審査する判例(最判平成24年1月16日判時2147号127頁・行政判例ノート6-3[A])、懲戒処分の量定に係る裁量基準の合理性等を手掛かりに比例原則を用いる判例(神戸地判平成20年10月8日判タ1319号87頁、佐賀地判平成20年12月12日裁判所HP、京都地判平成21年6月25日裁判所HPなど)があります。もっとも、最近の最高裁判決(最判平成30年11月6日判時2413=2414号22頁 最判令和2・7・6判時2472号3頁等)は、懲戒処分の量定(重さ)を認定・判断する要素について「社会観念」に照らした具体的評価を行いつつ、結論として裁量権の行使を適法とする傾向性を示しています。

 公務員の懲戒処分に係る裁判例は、「社会観念上著しく妥当を欠く」という上位規範によりつつ、裁量基準それ自体の合理性、個別の懲戒事案における処分事実の評価あるいは個別事情の考慮義務等が争点となり、実質的に判断過程審査の「手法」が応用されていると見ることもできるでしょう。さらに、処分をする・しないという効果裁量に係る判断過程について、する方向での考慮事項と、しない方向での考慮事項を精密に拾って、バランスを判断するのですから、比例原則と判断過程審査の融合が起きていることは、容易に理解できます。


おわりに

 判断過程審査手法は、覊束と裁量が相対化し、行政決定における裁量の所在・性質を根拠規範から精緻に導く解釈の定着と相俟って、標準化・一般化したと考えられます。他方で、判断過程審査それ自体は「手法」の問題であり、実際の裁量審査においては、個別事案ごとに、法制度の仕組みと事実関係に対応した根拠規範の解釈が求められます。現時点では、判断過程審査手法が用いられることを前提に、裁量基準の合理性に着眼した審査、考慮要素・考慮事項の重み付けと結びついた比例原則の細やかな適用、行政決定過程における調査義務・説明責任等を踏まえた合理的根拠の評価等、より具体的なレベルでの裁量統制のあり方の定立が求められる、というのが私の考えです。

 今回も、最後までお読みいただいて、本当にありがとうございました(冒頭でお知らせした書籍化の作業のため、11月の連載はお休みします)。

 

*1:他方で、判断過程審査が社会観念審査の「前提」と考えてしまうと、判断過程の瑕疵が認められるものの、社会通念に照らして適法とするケース(札幌地判平成26年3月26日判時2250号85頁など)が問題になります。判断過程が合理性を欠いても処分の取消事由とならない場合があるか、という解釈問題ですが、私としては、判断過程の瑕疵を是正した場合に同一内容の再処分が許される、と安易に考えることはできないと思っています。

*2:山本隆司「行政裁量の判断過程審査の理論と実務」司法研修所論集129号(2019)17頁以下。

*3:塩野宏『行政法Ⅰ〔第6版〕』(有斐閣・2015)138頁から引用。

*4:高木光『行政法』(有斐閣・2015)490頁から引用。文献等についても、同489頁以下を参照。

*5:当連載第9回に紹介した「白石判決」が典型的です。

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